今改めてリペアのチカラを思い知るオリジナルに忠実の未来図
実をいうとリペアには限界がある、これからは張り替えの時代だと思った時期もあった。
革の再生は不可能だと言われた言葉が頭を駆け巡り、認めざるを得ないリペアに限界があるというのも事実。やはり、限界があるものは駄目なのか?
そう考えていた矢先、自分の車のシートに鍵裂きを作ってしまった。
あまりにもショックで、自分を責め、時間が戻らないかとも思ってしまった。
そして傷をどう対処するかを考えてみた。
リペアでは、当社の塗装なり、パテ・接着剤がプラスされオリジナルではなくなってしまう。
しかし、張り替えでは部分的に革自体がオリジナルではなく、自社の物になってしまう。
そう考えると正規のシートカバーをオーダーするべきなのか・・・。
そこで、
革はどうしたら元どうりになるのか?
オリジナルに忠実とはどういう意味なのか?
結局自分はどうしたいか?
と、シンプルに考えてみた。
革は皮膚とは違って自ら再生することは出来ない。
自分が考えるオリジナルはやはり純正に越したことはないが、
今までの思い入れがあるものでなくなるのは嫌だ。
その原点に戻って考えた結果、車を所有するオーナーによって何通りもの答えがあるという事を再確認できた。例えば、純正で何も手を施さない物をオリジナルとする方もいるだろう。
または、手に入れた時点の状態をオリジナルとする方もいるだろう。
つまり、オリジナルに忠実という定義には持ち主の思いが含まれるということも理解した。
なので、その持ち主の感性によってリペアが最善な場合、張り替えが最善な場合や純正パーツが最善な場合があるのだと思った。
当社を訪れてくださる方々は、修理が最善だと思ってくださった方もいるのかもしれない。
今まで我々はオリジナルに忠実の定義は、作業する側からの偏った見方をしていたのかもしれない。
技術を突き詰めることばかりに集中しすぎ修理という事さえを自ずと全否定しようとしていた気がする。
逆の発想だと修理の中でもリペアは極力オリジナルの部分を残せる手段でもある。
本当に大切なのは、持主の思いであって
我々にとって必要なのは、その思いを形に出来るかであって
その為に重要なのは、それを形にすべく技術、または感覚をも磨くべきであるはずだった。
我々が追求していた技術は、息のつまるような塗装で覆うのではなく、
本来の質感を追求し、自然な美を徹底してきた。
その為に素材を学び材料を学び、感性を磨いてきた。
よりリアルに再現する為に極力最小範囲でのリペアを心がけ
リペアで対応しきれないものは部分の張り替えに切り替え、部分張り替えでも周りと合うよう革の作成もするようになった。
このことは間違えではなく、修理屋という当社の観点から考えるとオリジナルに忠実という意味である。
その場しのぎの仕上がりだけでは決して終わらない
クリーニング・リペア・張り替え・感性をトータルした独自のリペア効果を追及し
ホリスティックなアプローチでオーナーの思いを形に出来ることを最大の特徴と続けたい。
本当に必要なことが、今ならば、ちゃんと形にできる・・・。
我々にとって、やっとそういう時代になったのだと思う。